手続きをしてお金をいただくためです。
ところが、「今日、その部署はやってません」と受付ですげなく言われ、「え!?じゃあ、他にやってるところ・・・」「今日はここしか開いてません」「・・・・・。」「後日、電話で問い合わせてくれたら、もしかしたら郵送でも受け付けるかもしれません」「・・・・・。」
ぐあああああああああああ
お役所仕事ムカツくぅぅぅぅぅぅ!!!!!
後日電話でもいいんだったら、今ここで、郵送でもできるかどうかだけでも、調べてくれないの!?
そんなヤル気のなさでどうする!!
そもそも受け付けのおっさん、何か死んだ魚の目まんまだし!!
もっと腹に力入れて生きてくれよ!!
要は、出直せといわれたんですが、なんかもー腑におちない・・・。
釈然としない気持ちで引き返し、
「あっ!そういえば明日から着る服がない!!」(リアルに)
とデパートをうろついてみたのですが、どれもこれも高いありえない、むかつくからアウトレット行こう!!と、そこから電車で2時間移動し(ムダに行動力にあふれてみた)、ざかざか服を買い込みました。
あと、私はピアスをあけていないのですが、昨今ではイヤリングなんてほとんど取り扱っていません。
かろうじてイヤークリップを取り扱っている雑貨屋さんにも行き、「着回せば2週間は・・・持つ!」というくらい大量に服を確保し、ついでにスニーカーも買い、無事に帰路につきました。
スニーカーなんて、はきすぎでボロボロで靴底に穴が開いてたしね。
履きやすかったからつい。
なかなか服に穴でも開かない限り捨てたりしないで何年もしつこく着るタイプなんですが、親に「お願いだからそれ捨てて」と言われるものが増えてきたので、しぶしぶ買い替えです。
気になるゲームや本は躊躇なく買うけれど、己のオシャレに投資するのは、無駄すぎて気が進まない。
何着たって変わらないんだから、質素でいいじゃんもー・・・。
あと、冬用のパジャマはユニクロのトレパン、もしくは大きなテディベアの可愛らしいパジャマの2択しかなく、30目前にした女が着るべきものではない、と、新しいのを買いました。
腹巻きも買うかどうしようかレジのまえで5分くらい悩んだが、保留にしました。
2×年間一度も身につけたこともないのにあえて買うべきか、考えたのですが、多分そういう習慣がないからやがて履かなくなるのが目に見えている、タンスに眠る某メーカーのスリムアップガードルのように・・・!
明日から2週間くらいはちゃんとOLさんに見える服装で電車に乗れると思います。
ぶっちゃけ、いつものワンピースを着て電車にのっていたら・・・・
妊婦と間違われてオジサンに席を譲られてしまいました。
(先週の金曜日を私は一生忘れない・・・)
マタニティじゃねえからこれ!!!!
確かに胸のすぐ下に切りかえしがついてるけど!!!
でもこれ、レストローズの冬ワンピでね!!
お気に入りでね!!
って、もしかしておなかがポッコリして見え・・・て・・・
ねえ!どっち!どっちだったの!?
ねえちょっとオジサン・・・!(声にならない声)
さすがにその日は夕飯の箸もすすまず、親に「どうしたの?」と言われる始末。
服装うんぬんじゃねえ、やせよう。
まず、運動不足をなんとかしよう。
ここ最近、高島俊男氏の水滸伝に関する著書を、何冊も読みあさっていました。
すごく分厚いうえに字が細かいので、目がつぶれるかと思いましたが、書いているご本人もお目を痛めて著を断念したらしい。私はこの人のこういうところがたまらなく好きである。
で、読み終えて、しみじみ思うことは、「・・・・うん、わからん!」ということである。
これは高島先生の筆が悪いのでも、私の頭が悪すぎるからでも(多分)ない。
水滸伝、一言で言っても、作者も成立した時代も、諸説様々で「絶対これ!」と特定できないのだ。
しかも無限といっていいほど種類がある。
なんというか、多分水滸伝についてこの世で一番わかりやすい説明は、となりの801ちゃんでチベくんが仰った名言「人間ポケモン」に限ると思う。あれ超わかりやすい。
で、調子にのって、その高島先生の三国志の本も読んでみたがこれがまたメチャメチャ面白い。
たとえば、『韓遂』。
高島先生はこう仰っている。
「もともこの人のことはそんなによくはわからない。時々大暴れをする。それは朝廷の記録にのる。しかし大暴れと大暴れのあいだは何をしているのか、多分つぎに暴れる準備でもしているんだろうが、そういうことは記録に残らないからわからない。」
確かに。
しかし、知った気になっていて意外とわかっていないのが三国志である。
三国志と三国志演義は、天と地ほど違うことも知らなかった。
そしてコーエーのおかげで、ついつい孫策はヤンチャ、孫権はお堅い、そんなイメージがあったが、どちらかと言うと逆だったらしい。孫権、酒ぐせ超わるい。
一度、めちゃくちゃにはしゃいで酔っ払って、臣を叩ききる!と大暴れ、翌日我にかえって「・・・なんか・・・ごめん・・・もうオレが酔った席で『殺す!!』とか言っても、真に受けないでマジで・・・」と部下に言ったりしている。
酒の席での粗相は、ものすごく良くわかるが、一国の主がそれをやっちゃあシャレにもならなかったことであろう。
そして知らなかった、愛すべき三国志時代の英雄に、孫権のブレーンだった「張昭」。
このじいさんが最高にいとしかったので、紹介する。
孫権とこのじいさん、相当気が合わなかったが、孫権の母と兄の孫策が、両名とも遺言で「孫権を頼む」とこのじいさんに言ったがために、彼らの長いコンビ生活がスタートした。
まずは孫権19歳、お兄ちゃんが死んでグズグズうじうじ嘆いているのを「そんなことにかまけている場合か!」と、首根っこつかまえて引きずり出すところから、張昭の仕事は始まった。
2年後に、孫権の母・呉夫人がみまかり、やっぱり「うちの息子をよろしく」とこのじいさんに言い置いた。
孫権のヤンチャ野郎は、虎を狩って遊んでいたところ、じいさんびっくり。
「アホですか!君主っていうのは獣に食われたりしてるばあいじゃないでしょ!何かあったら笑いものですよ!」と止めに入る。孫権はしおらしく謝り、以後、箱の一面に四角い穴を開けた乗り物にのって虎を狩ったという。馬鹿だ。
さすがにじいさんもこれにツっこんんだが、孫権にやにやして取り合わなかったらしい。
また、じいさんが提案したことを孫権が却下、怒ったじいさん自宅にひきこもる、孫権は怒ってじいさんの家の門を土でふさぐ、じいさんも怒って内側から土でふさぐ、孫権さらに切れて門を燃やす、それでもじいさん出てこないからヤベエと思って火を消す、最終的には、じいさんは息子たちに両脇を抱えられて出てくる始末。何がしたかったんだお前ら。
孫権だけではなく、国中がこのじいさんにはビビって気を使いまくりだったと言う。
愛すべき頑固じじいだったが、涙もろかったと言う。
こういうじいさんは嫌いじゃない。
今日の面談で「(会社的に)通るかどうかは別として、君を主任に推そうと思う」と、所属長に言われました。
主任って、あれだよね!
エルンストだよね!
と、喜んでる場合じゃない。
弊社は歴史ある会社・・・と言えば聞こえがいいが、古い会社だ。
このご時世、ガッツリ年功序列を重んじている。
だからオツボネみたいな、仕事をしないくせに甘やかされる奴が野放しとなっている。
そんな弊社、本来なら、主任という役職をもらうに、勤続10年が必要とされる。
歴代の主任はそうだった。
ところが、所長はその慣例を無視して、とにかく秋の人事で私を推す、と、ありがたいお言葉をくれた。
それはそれとして、ありがたく拝聴するとして、問題はそういうことじゃない。
やればやっただけ、頑張れば頑張っただけ、他人に評価される・・・わけはないのである。
頑張っても報われない、要領のいい奴がいい目を見る、もしくは、面倒見のいいデキルやつができないやつを補い、できないやつに限って、自分が他者に助けられているという自覚がない。
私はそういう無邪気な弱者がダイキライだ。
私は、元来卑屈で自分を過小評価するきらいがある。
それでもあえて言う、あの職場で、私ほど忍耐を持ったやつは一人もいない、益にならないことにも誠意で応じようと試みたやつは他にいなかった、皆、私が率先してやった、その自負はある。
辛いこと、面倒なこと、他人にやらせたら私の負けだ、という意気込みで仕事を率先してやってきた。
これに関して、誰にも文句は言わせない。
言い切れるだけのことはした。
誓う。
でも。
うまくいえないが、私は、能力制度と言うやつがきらいだ。
仕事の出来ないやつの戯言と思われるかもしれないが、『仕事ができる』というのは幻想だと思う。
職人だって、優れた技術も流通ルートがなければ金にならないのである。
金にならなければ仕事ではない、自己満足、趣味の世界だ。
仕事として成立する以上、自分が軽んじているであろう業務を、自分の目の見えないところで誰かが歯を食いしばってやってくださっているゆえの結果だ。
組織って、特にそういうところだ。
突出して個を褒められる、というのは、・・・・一言で言うと居心地が悪い。
実情はどうあれ、私はそんな風に「一人で何でもやってる!」と思われたのだとしたら、自分が恥かしい。
申し訳ないが、いくら慧眼の持ち主でも、私の瑣末な業務や、数々の「誰も褒めてくれないけれど、私が私を満足させるために頑張ってやった」業務を評価されたとは思わない。そこまで見届けているとはとうてい思えない。そのくらい、あの組織は他人に無関心だ。良くも悪くも。
もしかしたら、私はこの世の誰よりも、むしろプライドが高いのかもしれない。
そんなことを思いつつ。
まぁ私のことなんか正直私ですらどうでもいいです(エー!)
そんなことよりも、ヒロシ、無事クリア・・・・!!
ヒロシは・・・ヒロシは・・・立派な男になりましたよ・・・・!!
エンディングは「えーーー!えーーー!!!ええええええ!!」でしたが、そんなこと言いつつも、伯母上の笑顔に涙ボロボロです。
そしてその直後に出てきたヤツラを見て「お前らのせいなのに何改心しとんじゃーーー!」と涙が乾きました。
ビッキーはまた旅に出たとです・・・。
あと他人様に「2」を貸して頂いたのですが「2をやるなら1も!!!!!!!」と熱烈に説得されたので、近々アマゾンで1を買おうと思います。
その際、「1も2も、買って損はないけれど、3、4を買うくらいなら貸すから絶対に買うな」と念を押されました。
コナミの黒歴史だそうです。
そして関係ないんですが、某ドラクエで、ビアンカを捨ててフローラ姫と結婚したプレイヤーはなんて鋼鉄のハートの持ち主だ、と愕然としました。
私なら絶対にできない・・・・!
ちなみにFF7では、ユフィが好きです(←もっとも誰も傷つかない選択肢を選ぶ)
グルメ広告を見ながら、「昔、エコールキュリネール国立(※料理専門学校)に入りたかったんですよね~」とつぶやいていたら、ななめ向かいの男子社員が「僕も!!」と過剰反応。
「マイナーな学校なのに良く知ってるね?」と流しつつも、「昔、深夜ラジオのCMでいっつも流れてたんですよねー。懐かしいなぁ」といったところ、男子社員の顔色が変わった。
「もしかして、TBSですか?」
「???うん、岸谷五朗の東京レディオクラブっていう・・・」
「僕も聞いてましたぁぁぁぁ!!!!」
「まじでか!!!!」
この番組、通称レディクラ、深夜(22時~24時)にやっていた番組で、当時受験生だった私の夜のお供だった。
なにせ当時小学生にとって、夜の23時代なんて眠さのピークだったので、この番組を聞くことで睡魔と闘えたのだ。集中して勉強できたかどうかは別にして。この番組のおかげで中学受験に受かりました。
そしてこの番組のおかげで五朗ちゃんは奥居香と結婚したんだもんね・・・。我々リスナーは聞いてたよ・・・。
「うわー懐かしい!あれ面白かったよね!」
「僕、レディクラバッジ(※番組に投稿して採用されるともらえる)持ってますよ!!」
「まじで!?ハガキ採用されたの!?ハガキ職人!?」
「しかも番組に出演したことありますよ!!」
「もしかして○▲!?(←当時人気のあったはがき職人のラジオネーム)」
「違います。でも、五朗ちゃんとトークしましたよ」
「いーなーいーなー!!」
勝手に盛り上がる我々。
「混浴王・山田とかさ!」
「ボンビー君とか!」
「木曜だっけ?エロいコーナーがあってさー子供心にドキドキしたんだよねー」
「分かるッ!!!」
なんだろうこの、良くわからない盛り上がり。
翌日顔をあわせたとき、彼は「いやー久々にレディクラの話ができる人と会えてマジテンションあがりましたよー・・・今度実家に戻ったとき、レディクラバッジ持ってきますからね」と恍惚とした表情でした。
そ・・・そんなに嬉しかったんだ・・・。
岸谷五朗の東京RADIO CLUB ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E8%B0%B7%E4%BA%94%E6%9C%97%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%ACRADIO_CLUB