いま一緒に仕事を組んでいる相方が、元探偵だと知って、なぜうちの会社に転職してきたんだと心の底からつっこみたかったが、「(探偵時代)組長に対面しに行って軟禁されたときは、生きた心地がしなかった」と笑顔で言われたので何も言えませんでした。
ここ最近、高島俊男氏の水滸伝に関する著書を、何冊も読みあさっていました。
すごく分厚いうえに字が細かいので、目がつぶれるかと思いましたが、書いているご本人もお目を痛めて著を断念したらしい。私はこの人のこういうところがたまらなく好きである。
で、読み終えて、しみじみ思うことは、「・・・・うん、わからん!」ということである。
これは高島先生の筆が悪いのでも、私の頭が悪すぎるからでも(多分)ない。
水滸伝、一言で言っても、作者も成立した時代も、諸説様々で「絶対これ!」と特定できないのだ。
しかも無限といっていいほど種類がある。
なんというか、多分水滸伝についてこの世で一番わかりやすい説明は、となりの801ちゃんでチベくんが仰った名言「人間ポケモン」に限ると思う。あれ超わかりやすい。
で、調子にのって、その高島先生の三国志の本も読んでみたがこれがまたメチャメチャ面白い。
たとえば、『韓遂』。
高島先生はこう仰っている。
「もともこの人のことはそんなによくはわからない。時々大暴れをする。それは朝廷の記録にのる。しかし大暴れと大暴れのあいだは何をしているのか、多分つぎに暴れる準備でもしているんだろうが、そういうことは記録に残らないからわからない。」
確かに。
しかし、知った気になっていて意外とわかっていないのが三国志である。
三国志と三国志演義は、天と地ほど違うことも知らなかった。
そしてコーエーのおかげで、ついつい孫策はヤンチャ、孫権はお堅い、そんなイメージがあったが、どちらかと言うと逆だったらしい。孫権、酒ぐせ超わるい。
一度、めちゃくちゃにはしゃいで酔っ払って、臣を叩ききる!と大暴れ、翌日我にかえって「・・・なんか・・・ごめん・・・もうオレが酔った席で『殺す!!』とか言っても、真に受けないでマジで・・・」と部下に言ったりしている。
酒の席での粗相は、ものすごく良くわかるが、一国の主がそれをやっちゃあシャレにもならなかったことであろう。
そして知らなかった、愛すべき三国志時代の英雄に、孫権のブレーンだった「張昭」。
このじいさんが最高にいとしかったので、紹介する。
孫権とこのじいさん、相当気が合わなかったが、孫権の母と兄の孫策が、両名とも遺言で「孫権を頼む」とこのじいさんに言ったがために、彼らの長いコンビ生活がスタートした。
まずは孫権19歳、お兄ちゃんが死んでグズグズうじうじ嘆いているのを「そんなことにかまけている場合か!」と、首根っこつかまえて引きずり出すところから、張昭の仕事は始まった。
2年後に、孫権の母・呉夫人がみまかり、やっぱり「うちの息子をよろしく」とこのじいさんに言い置いた。
孫権のヤンチャ野郎は、虎を狩って遊んでいたところ、じいさんびっくり。
「アホですか!君主っていうのは獣に食われたりしてるばあいじゃないでしょ!何かあったら笑いものですよ!」と止めに入る。孫権はしおらしく謝り、以後、箱の一面に四角い穴を開けた乗り物にのって虎を狩ったという。馬鹿だ。
さすがにじいさんもこれにツっこんんだが、孫権にやにやして取り合わなかったらしい。
また、じいさんが提案したことを孫権が却下、怒ったじいさん自宅にひきこもる、孫権は怒ってじいさんの家の門を土でふさぐ、じいさんも怒って内側から土でふさぐ、孫権さらに切れて門を燃やす、それでもじいさん出てこないからヤベエと思って火を消す、最終的には、じいさんは息子たちに両脇を抱えられて出てくる始末。何がしたかったんだお前ら。
孫権だけではなく、国中がこのじいさんにはビビって気を使いまくりだったと言う。
愛すべき頑固じじいだったが、涙もろかったと言う。
こういうじいさんは嫌いじゃない。
ここ最近、高島俊男氏の水滸伝に関する著書を、何冊も読みあさっていました。
すごく分厚いうえに字が細かいので、目がつぶれるかと思いましたが、書いているご本人もお目を痛めて著を断念したらしい。私はこの人のこういうところがたまらなく好きである。
で、読み終えて、しみじみ思うことは、「・・・・うん、わからん!」ということである。
これは高島先生の筆が悪いのでも、私の頭が悪すぎるからでも(多分)ない。
水滸伝、一言で言っても、作者も成立した時代も、諸説様々で「絶対これ!」と特定できないのだ。
しかも無限といっていいほど種類がある。
なんというか、多分水滸伝についてこの世で一番わかりやすい説明は、となりの801ちゃんでチベくんが仰った名言「人間ポケモン」に限ると思う。あれ超わかりやすい。
で、調子にのって、その高島先生の三国志の本も読んでみたがこれがまたメチャメチャ面白い。
たとえば、『韓遂』。
高島先生はこう仰っている。
「もともこの人のことはそんなによくはわからない。時々大暴れをする。それは朝廷の記録にのる。しかし大暴れと大暴れのあいだは何をしているのか、多分つぎに暴れる準備でもしているんだろうが、そういうことは記録に残らないからわからない。」
確かに。
しかし、知った気になっていて意外とわかっていないのが三国志である。
三国志と三国志演義は、天と地ほど違うことも知らなかった。
そしてコーエーのおかげで、ついつい孫策はヤンチャ、孫権はお堅い、そんなイメージがあったが、どちらかと言うと逆だったらしい。孫権、酒ぐせ超わるい。
一度、めちゃくちゃにはしゃいで酔っ払って、臣を叩ききる!と大暴れ、翌日我にかえって「・・・なんか・・・ごめん・・・もうオレが酔った席で『殺す!!』とか言っても、真に受けないでマジで・・・」と部下に言ったりしている。
酒の席での粗相は、ものすごく良くわかるが、一国の主がそれをやっちゃあシャレにもならなかったことであろう。
そして知らなかった、愛すべき三国志時代の英雄に、孫権のブレーンだった「張昭」。
このじいさんが最高にいとしかったので、紹介する。
孫権とこのじいさん、相当気が合わなかったが、孫権の母と兄の孫策が、両名とも遺言で「孫権を頼む」とこのじいさんに言ったがために、彼らの長いコンビ生活がスタートした。
まずは孫権19歳、お兄ちゃんが死んでグズグズうじうじ嘆いているのを「そんなことにかまけている場合か!」と、首根っこつかまえて引きずり出すところから、張昭の仕事は始まった。
2年後に、孫権の母・呉夫人がみまかり、やっぱり「うちの息子をよろしく」とこのじいさんに言い置いた。
孫権のヤンチャ野郎は、虎を狩って遊んでいたところ、じいさんびっくり。
「アホですか!君主っていうのは獣に食われたりしてるばあいじゃないでしょ!何かあったら笑いものですよ!」と止めに入る。孫権はしおらしく謝り、以後、箱の一面に四角い穴を開けた乗り物にのって虎を狩ったという。馬鹿だ。
さすがにじいさんもこれにツっこんんだが、孫権にやにやして取り合わなかったらしい。
また、じいさんが提案したことを孫権が却下、怒ったじいさん自宅にひきこもる、孫権は怒ってじいさんの家の門を土でふさぐ、じいさんも怒って内側から土でふさぐ、孫権さらに切れて門を燃やす、それでもじいさん出てこないからヤベエと思って火を消す、最終的には、じいさんは息子たちに両脇を抱えられて出てくる始末。何がしたかったんだお前ら。
孫権だけではなく、国中がこのじいさんにはビビって気を使いまくりだったと言う。
愛すべき頑固じじいだったが、涙もろかったと言う。
こういうじいさんは嫌いじゃない。
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COMMENT
三国志ネタはヤバいです
度々コメつけて申し訳ないです。
正史イイよね!
張昭も好きジイさんです。
自分の場合は、魏好きなので正史を好むだけかもですが、孫権のことを「短足」と言い放つ張遼とか、読んでて吹いた記憶があります。
サラっと辛辣。
発言をトータルで見ると孫権を褒めている内容なので、たぶん本人まったく悪気なし。張遼はマジメ系の天然だったんだろうかと妄想しました。
それにしても足が短いのに弓馬に秀でているって、逆に孫権スゴい。
胴長短足だと馬に乗るのも大変そうなイメージなのに。馬を上手に操るのも難しそうなのに。バランス悪そうなのに。
あと、何か孫家は新興勢力+家柄はアレなので、自勢力の箔付け用に名士・良家の臣を過度に優遇したと、陳舜臣の本で読んだ覚えがあります。
でも張昭ジイさんは別格ですよね。
正史イイよね!
張昭も好きジイさんです。
自分の場合は、魏好きなので正史を好むだけかもですが、孫権のことを「短足」と言い放つ張遼とか、読んでて吹いた記憶があります。
サラっと辛辣。
発言をトータルで見ると孫権を褒めている内容なので、たぶん本人まったく悪気なし。張遼はマジメ系の天然だったんだろうかと妄想しました。
それにしても足が短いのに弓馬に秀でているって、逆に孫権スゴい。
胴長短足だと馬に乗るのも大変そうなイメージなのに。馬を上手に操るのも難しそうなのに。バランス悪そうなのに。
あと、何か孫家は新興勢力+家柄はアレなので、自勢力の箔付け用に名士・良家の臣を過度に優遇したと、陳舜臣の本で読んだ覚えがあります。
でも張昭ジイさんは別格ですよね。
孫権・・・・!
足短かったんか・・・!(爆笑)
その流れでなぜ褒め言葉に・・・!張遼はあれですか、ツンデレですか?(素)
張昭と孫権、まじで相性悪かったらしいですね・・・。公孫淵に使者を送る送らないでガタガタもめたとき、二人で超大喧嘩はじめたあげく、孫権が「殺すぞ」という意のことを言えばじいさんじっと相手の目を見て「私の意見を採用しないのはわかっていますが、それでもくどくど申しますのは、ひとえにあなたのお母様のご遺言有らばこそ・・・」と、オイオイ泣き始め、孫権ももらい泣き、刀を放り出して地べたにうずくまって一緒になって泣いたらしいです 馬 鹿 で す か。
あと曹操さまのお作りになった詩があるんですが、最後に「歌おうぜ、さあ!」(歌以詠志)というのが繰り返し繰り返し4回も出てきて、私の中の曹操愛がグングンあがってきました。どうしちゃったの曹操さま!
前にも言われたけれど、私はやっぱりダメ人間萌え属性なのかも・・・。英雄、勇将、智将としての曹操よりも、こういうところがすごくツボだ・・・。
その流れでなぜ褒め言葉に・・・!張遼はあれですか、ツンデレですか?(素)
張昭と孫権、まじで相性悪かったらしいですね・・・。公孫淵に使者を送る送らないでガタガタもめたとき、二人で超大喧嘩はじめたあげく、孫権が「殺すぞ」という意のことを言えばじいさんじっと相手の目を見て「私の意見を採用しないのはわかっていますが、それでもくどくど申しますのは、ひとえにあなたのお母様のご遺言有らばこそ・・・」と、オイオイ泣き始め、孫権ももらい泣き、刀を放り出して地べたにうずくまって一緒になって泣いたらしいです 馬 鹿 で す か。
あと曹操さまのお作りになった詩があるんですが、最後に「歌おうぜ、さあ!」(歌以詠志)というのが繰り返し繰り返し4回も出てきて、私の中の曹操愛がグングンあがってきました。どうしちゃったの曹操さま!
前にも言われたけれど、私はやっぱりダメ人間萌え属性なのかも・・・。英雄、勇将、智将としての曹操よりも、こういうところがすごくツボだ・・・。
素敵じゃないかよ
>褒め言葉
合肥で張遼がある敵将とニアミスった後、周囲に「あの赤ヒゲ・長身・短足で馬を巧みに操り騎射の上手い名将は誰だったの?」みたいな質問をしたら「それ孫権ッスよ!!」「マジ?! 知ってたら捕まえたのに~」って感じのエピソード。
読んだ当時「北の出で馬術の巧みな張遼が褒めるってことは、孫権も相当馬術に長けていたのか」と思いました。
>詩
高島俊男がどんな書き方したのか気になって検索かけたんだけど、歩出夏門行の訳がすごいことになっててウケたw
何か民謡調で新鮮。でも楽府と考えるとむしろハマるかも。つか「素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ」が最高。マジで合いの手っぽい。
曹操の詩は本音をぶちまけている感じで嫌味がなく、読んでて気持ち良いですよね。楽しい詩ではマジ機嫌良さげだし、悲しい詩では盛大に憂い嘆きグチも弱音も吐くので「何この可愛いオッサン……!!」とキュンキュンくる。
徐州・官渡での大虐殺みたいなデカいのから、人妻好き・食事中に爆笑しすぎて皿に顔を突っ込む・すべての官女の眉を(化粧で)一本眉にさせる等々の香ばしいものまで、いろいろ問題もあるオッサンだけど何か憎めない。
ちょ、今度会った時、曹操について熱く語り合おうよ!
合肥で張遼がある敵将とニアミスった後、周囲に「あの赤ヒゲ・長身・短足で馬を巧みに操り騎射の上手い名将は誰だったの?」みたいな質問をしたら「それ孫権ッスよ!!」「マジ?! 知ってたら捕まえたのに~」って感じのエピソード。
読んだ当時「北の出で馬術の巧みな張遼が褒めるってことは、孫権も相当馬術に長けていたのか」と思いました。
>詩
高島俊男がどんな書き方したのか気になって検索かけたんだけど、歩出夏門行の訳がすごいことになっててウケたw
何か民謡調で新鮮。でも楽府と考えるとむしろハマるかも。つか「素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ」が最高。マジで合いの手っぽい。
曹操の詩は本音をぶちまけている感じで嫌味がなく、読んでて気持ち良いですよね。楽しい詩ではマジ機嫌良さげだし、悲しい詩では盛大に憂い嘆きグチも弱音も吐くので「何この可愛いオッサン……!!」とキュンキュンくる。
徐州・官渡での大虐殺みたいなデカいのから、人妻好き・食事中に爆笑しすぎて皿に顔を突っ込む・すべての官女の眉を(化粧で)一本眉にさせる等々の香ばしいものまで、いろいろ問題もあるオッサンだけど何か憎めない。
ちょ、今度会った時、曹操について熱く語り合おうよ!