職場に、小学生たちがやってきた。
保護者に連れられて。
見るからにビクビクしている。
低学年らしき子は、もうプルプルしちゃって今にも泣きそうだ。
どうも、公共物をボール遊びしていて壊したらしい。
謝りに来たそうだ。
もう、こういう時、大人としてはもう・・・・
ニヤニヤが止まらない。
考えてみれば子供のころ、考えうる「悪いこと」って・・・・かわいいもんだったよね・・・。
モノを壊した、なんて、世界の終りみたいにビクビクしちゃうよね・・・。
全然たいしたことないんだよ、そんなにおびえることじゃないんだよ。
でも、大人としてはこういう時、子供が「ごめんなさい」を言うのを、待ってあげなくちゃいけない。
「いいのいいの」とか言っちゃいけない。
ちゃんと反省して、罪の意識におののいて、それでも勇気を出して「ごめんなさい」をいう心をほめる準備だけして、待っていてあげなきゃいけない。
その子たちは、保護者に促されてではありますが、ちゃんと「ごめんなさい」を言いました。
もう、春雨さんニッコリですよ。
お歳暮にもらったチョコレートをドンと一箱出したとたん、子供たちの目がキラキラしだす。
「緊張したでしょう。食べていいよ」
とたん、保護者が「こらっ;謝りに来たのに、何やってんのあんたたち;」と制止するも、嬉しそうにチョコをほおばる子供たち。
見ていて、嬉しくてほほえましくて。
私も一度、子供のころ、大人にこうやってチョコをもらったことがあった。
いつかこうやって、あの日の「よく知らないけれどチョコをくれた知らないお姉さん」になるのが夢だった。
夢をかなえてくれてありがとうボウズたち。
いつかあんたたちが大人になった時、「ごめんなさい」を言いに来た子がいたら、こうやって、また、チョコを出してあげてね。
ごめんなさいが、ちゃんと相手に届けば、許してもらえる。
甘いものと一緒に苦いものもゴックンしてしまいなさい。
子供たちの名前も、詳細は聞かなかった。
けががなくて本当に良かった。
君たちが思うほど、君たちはまだ、悪いことをするには、幼すぎる。
きっと彼らの感じているほどの罪悪に見合うものなんて、全然できてない。
でも大人は子供にそんな「答え」を簡単にあげない。
何回も怒られて、おびえながらでもごめんなさいを言って、ゆっくり大人になるがいい。
おばちゃんは、大人代表として、いつでもチョコを用意して待っている。
でも破損物の修繕の稟議を起案するのは面倒くさいので、できればもうやってほしくない(←オトナの本音)
ものすごく久しぶりにお会いする方々、最後に会ったのは何年前でしたっけ・・・?等と素でかわす会話、なんだろう、ものすごく人生として贅沢だ。
そのうちのお一人が「久しぶりに会うから、どうしてたんだろうと思ってブログを見たら・・・・相変わらずだったね」と天使の笑顔でおっしゃいました。
はい、相変わらずオタクです(胸を張るところ)
(「お義母さま」とかブログで書いていたので、私が結婚したのだと一瞬勘違いさせてしまったらしい。どんだけご無沙汰してたんだ私・・・不義理ですみません!)
まったく外界と接触しない私を案じてか、mixiやツイッターやってみなよ、生存確認にやくだつよ、と、さまざまに推奨されたが、携帯の赤外線機能もつかいこなせない私に、そのような奥義が使えるはずもなく・・・。
ますます外界との格差は広がる一方の様相を呈してきた。
要は機械音痴なだけですが。
正直、一時期mixiをやったことはあるのだが、あまりに絶望が深かったのでもうずっと触っていない。
遠藤淑子の「心の家路」いわく。
無人島で一人でいるのは怖くないけど
集団の中で孤独でいるってことがたまらない
mixiというか、ああいうコミニュティは多かれ少なかれ、そういう負と向き合わねばならないので、そういうスキルを持っていない私は、与えられるものを享受する立場にいない属性の私は、・・・一言で言うと、とても、苦手なのだ。恵まれている人には、そういうことに「向き不向き」があるなんて、想像できないかもしれませんが、世の中には本当にそういうスキルに劣る人間がいるのです。
多分ツイッターなんてやった日には、3秒で孤独のあまり発狂しそうだから、絶対に無理。
新年会の時間はどんどん過ぎて、とても楽しくて、一人では絶対に味わえない特別な時間をすごせました。
が、途中、私のあまりの腹黒さに、その場が凍りついたりするアクシデントがありました。
私は常日頃から「腹黒いですよ」って告白して回ってるのに、なかなか信じてもらえない!
私が優しい生き物に見えるとしたら、それはその人が優しい生き物だから、だと思う。
私だって人間だもの、好きな人の前ではいつでもニコニコ優しい気持ちでいられますですよ。
最近つくづく思う、人間っていうのは、常に鏡だな、と。
自分に全部跳ね返るし、自分が全部透けて見える。
今年はどうか、素敵な人たちと素敵な時間を過ごせる、その幸せを感じることのできる自分になれますように。
・・・ちなみに後半は、私が「乳のあるやつが憎い・・・Cカップ以上のやつは今すぐここから立ち去るがいいですよ!!」とこぶしを振り上げて主張し、延々と「乳には夢とかロマンとかロマンとかロマンがつまってるですよ!!」と熱弁、周囲の巨乳、美乳の人々が笑い死に寸前くらいまで追い込まれていましたが、私の方こそ手負いの獣よろしく追い詰められた野獣と化し、「乳のない絶望は、あなた方にはわからない!!」と絶望のあまり号泣、危うく彼岸の人と化すところでした。
乳のある人はたいてい困ったように「・・・・それはあなたがスリムだから」とか言いますが、スリムじゃないんだよ、乳がないだけなんだよ!!と、血の涙で訴えたい。
「何か(ブラに)詰めればいいじゃん」と言われるが、そういうことじゃない!あるかないかっていうのは、あるように見えるか否か、とかそういう次元の話じゃないんだ!!
ないものは・・・ない!
絶望しか・・・ない!
「乳が大きくてもいいことないよ・・・」と顔を曇らせる人には、僻み根性丸出しで「ハイハイでましたぁー!あれでしょ、走ると痛いとか、かわいいブラがないとか肩がこるとかでしょ!!こちとら、Aカップのブラしててもブラの中で乳が泳ぐ(※Aより小さいから)し、ブラはそもそも習慣だから付けてるだけで意味をなさないし、一度でいいからそんな理由で肩がこってみたいわぁぁ!!!」
私の乳への僻みと猛執は、他人の想像をかるく超える。
新年になり、4日から出社、お弁当をせっせと作っている私を見て、母が「私の分も(お弁当)つくって」と一言。
次に生まれ変わったら、この親から生まれたくないなぁ・・・。
そう思いつつ、毎日2人分のお弁当をせっせと作っていました。
最近のスーパーは夜遅くまで営業しているため「明日のお弁当にはミドリが足りないから・・・ブロッコリーと、とろろ昆布をしょうゆであえて入れておくか・・・」と食材を買い込み、帰宅。
冷蔵庫に詰めていると・・・・あれ?昨日仕込んでおいた食材が・・・ない?
私:「おかあさーん、ここに入れておいたタラは?」
母:「え?食べちゃった」
私:「・・・・!」
母:「なんで?だめだった?」
私:「・・・明日、ベーコンで巻いてお弁当に入れようと思ってたんだけど・・・」
母:「そうなの?余ってるんだと思って、食べた」
私:「・・・・。あっこの肉団子・・・!」
母:「明日つかうんでしょ?焼いておいてあげた」
私:「・・・・このままレンジでチンすれば食べられるように工夫(個別包装)してたのに・・・これ、フライパンかなんかで焼いた!?」
母:「うん」
私:「そんなことしたら、外にまぶしたお豆が取れたでしょーーー!」
母:「うん、でも大丈夫、取れたのも食べたよ!」
私:「そういう問題じゃねーーーー!!!」
やっぱり次に生まれ変わっても、こいつからは産まれたくないです。
ということで、もう嫌になったのでお弁当は作りません・・・。
食材勝手に食われるし!!
三日坊主ではなく、一週間坊主的な。
幸先わるいな新年!
今日は職場で「そういえば学生の時、すごく嫌いな子がELTの持田香織に激似で、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって感じで、ELTが嫌いになりました」と告げたら、「いまどきその表現(坊主~)使うヤツはいない」と突っ込まれました。