どうしても故人の命日は忘れ難く。
忘れたふりはできても、忘れてるって言わないだろそれ、な訳である。
自分が生きていること、すなわち、故人の生きていた証な訳なので、毎日精一杯、生きてます。
9日、人様の送別会にお邪魔してきました。
まさかの1時間遅刻。
人生でたぶんベスト3に入るくらいの遅刻ぶり・・・!
血が引きました・・・。
そこであった楽しいこと、しょっぱいこと、嬉しいこと、悲しいこと、ごちゃ混ぜな一日は楽しい程に短く、瞬間瞬間が忘れ難い。
そのうち、一番印象的だったものを一つ。
数年ぶりにお会いした方がいたので、空白のその年月、いかがお過ごしで?と聞いてみた。
すると、「(私と最後に会った時から)すぐに妊娠して、出産して、育児してた」との答え。
ちょこっと会わないうちに・・・!
ほんの少しの時間で、人間はかくも無限大の営みを見せる。超すげえ。
それに比べ、私は何一つ成しえないまま、無為に生きていた気がして、脱力するしかなかった。
「私なんて・・・・食べて寝て食って、でしたよ・・・」(食う率高)と言うと、その方は笑って「私だってそうだよ」と答えた。
別に、慰めてるのではなく。
もちろん、馬鹿にしてるんでもなく。
それはあたりまえなんだよ、と、誇るでもなく純然たる事実として、自然に言ってくれた。
その言葉を聴いた瞬間、そうだ、私、この人のことが大好きだった、と、改めて思い出した。
何年も会ってなかったけど、私、この人のこういうところが好きだった、昔から、と思い知った。
そのほか、そう言えば、サイト消えちゃったけど、引っ越したの?と声をかけてもらった。
サーバーの都合で抹消されたんですよう(;へ;)と言うと、どうすればまた見られる?と聞いて下さった方がいて。
そこでも思い出した。
そう、こうやって、昔からいつも、ちゃんと見守って下さってた、あの時もそうだった・・・と、昔を思い出してめっちゃ泣きそうになった。
そう、私、この方に何度もそうやって助けてもらったことがあった、本当に救われてた、と思いだした。
なんで忘れてたかな。
久しぶりに会った人たちは、どれだけ会っていなくても、魂の核みたいなものは変わりようもなく、たとえ立場や微妙な何かが変わってても「変わらない」。
良くも悪くも「変われない」。
だからこそ、そこが愛しいんだと改めて思った。
なんでこんなに大事な気持ちを忘れてたんだろう。
人づてで聞いた、誰かの優しい言葉とか。
遠くから見守っていた、その人の痛みとか。
この日会った人全員、私、昔、宝物みたいな人達だと思ってた。
この日、自分を除いて8名。
8名とも、「あの時ありがとうございました」って言いたい人たちだった。
ひとりひとり、「ありがとう」の内訳が違うくらい、一人も漏れずに感謝している人たちだった。
大事だったのに、大事だって、ちゃんと伝えきれないまま、怠惰に生きてきてしまった。
歳をとると、こういうことをおろそかにしてしまっていけない。
伝わるだろう、言っても仕方ないだろう、と、スルーすることが増えたら、魂が磨滅してる。
年輪の重ねではなく、魂の磨耗が「老い」だと思う。
私の魂は、確実に老いた。
昔はもっと、ちゃんと、感謝していた。
いい気になっていたのかな。
帰り道、反省しながら帰りました。
視聴者から苦情殺到のACのCM。
最後の「♪A~C~」の歌の部分がイラッと来る、という理由から、そこだけ音声カットされる始末。
それよりも私は・・・
マンボウのターンがいつ来るのか、
気になって仕方ない。
ACのCM群の中で、きわめてアホっぽいアニメーションのCMがあり、そこでは「あいさつと動物のダジャレ、オンステージ」が繰り広げられている。
たとえば「こんにちは」のあと、投げやりな犬が「こんにちワン!」と叫び、「ありがとう」の後に肥満気味のウサギが「ありがとウサギー」と出現、まったくご機嫌なCMだ。
そして最後には、出てきたキャラが勢揃いでおどるシーンがあるのだが・・・
画面むかって左端、水色のマンボウのターンが、本当にいつまでたっても来ない。
毎回あのCMが流れるたびに「いつ!?いつマンボウの正体が明らかになるの!?」とすさまじい食いつきぶりを見せているが、ついぞ放映されない。
(噂によると、遥か昔に彼の出番が終わってしまっているので、もうでないらしいのだが・・・)
「だから!!!マンボウはなんなの!!!」とクッションを殴りつける日々が当分続きそうだ。
私にできる「精いっぱい」が節電だったので、自粛しておりました。
ひとまず東京電力が「ギリギリなんとか!」と言っていたので、それならば、と、ご心配くださったみなさまへ近況報告にと、まかりこしました。
こんなこと言うのもおこがましすぎるんですが、どうしても言いたくて。
被災された方々、本当に、本当に、ご心痛お察し申し上げます。
というか、さっき気のせいでなければウェブ拍手で・・・
被害甚大であった地域の方が コメントを残してくださっていたのですが・・・
・・・もう!よかったよ!!また会えてよかったよ!なんかもうありがとう!!!
こっちが元気をもらっちゃいましたよ!!
私の慰めなんて、文字通りちっとも慰めにならない予感なので、前回更新の能天気な日記から、本日までのへっぽこな日々を簡単につづります。
地震、当日。
会議室にいました。
揺れたとき、まさかこんなことになるとは思わず、もぐった机が脚にキャスターがついているタイプだったので用をなさない。ぐるんぐるん移動する机、机の下に入ることも不可能、なんですかこれ、と、いつ終わるんだ揺れ、と、現状把握できない状態が、しばらく続いた。
都内の電車は、すべて止まった。
すべて、だ。
道は車があふれかえり、50m進むのに1時間かかるような状態で、バスもタクシーも用をなさない。
会社から我が家まで、ざっくりと22.5km。
歩いて帰りました。
6時間半、かかった。
正直、4時間くらい歩いたところで、心がくじけそうになった。
ハイヒールはすれて痛い。
道はよくわからない。風が強くて、寒い夜だった。
地図を持っている他の人に尋ねたり、おまわりさんを見つけては駆け寄って聞いた。
早く家に帰りたかった。
不安だった、怖かった、親も家も心配だった。
5時間くらい歩いたところで、本当に泣きが入りそうになる。
足の裏のマメはつぶれたっぽい。
暗い道を、たくさんの人がそうであるように、黙々と歩く。
途中のコンビニはトイレのための長蛇の列、水も食べ物も買えそうになかった。
携帯も通じない。
時折メールが一気に届く。友達に無事だって言いたくて、何十回もトライして、やっと一言送信できる状態。正直、指がかじかんでた。
心配してくれるメールが届くたびに、もうちょっと歩いてみようと頑張れた。
全然平気だったよ!って、笑い話にしたかったから、嘘を本当にしようと歩いた。
6時間歩いたところで、もう駄目かも、と本当に思っった。
でも立ち止まったら歩けない気がした。
暗くて人寂しい道に、女一人でいることが怖かった。
やがて、最寄駅の駐輪場につく。
自分の自転車にまたがった。
自転車に座った途端、泣きたいほど疲れてたことに気づいた。
自転車最高・・・!ビバ、自転車・・・!
家に帰ると、暗闇の中、母が毛布にくるまっていた。
「どうやって帰ってきたの?」「歩いて」「・・・。」信じてもらえなかった。
父は会社に泊まると連絡があったそうな。
次の日、テレビで津波の映像を観た。
わけもなく泣いた。
水が迫る1秒、水に飲まれる1秒、自分が住んでいた家がめりめりと崩れる1秒、皆どんなに怖かっただろうと思ったら、体が震えた。泣いてる場合じゃねえと思った。
友達の安否が心配だった。
特に小さい子がいる人たち。
心配して連絡をくれた人、こういう時、弱音を吐かない友達、皆無事でいてくれと思った。
もちろん、被災地の人には及ぶべくもない。
でも、怖かっただろうし、危ない目にもあっただろう。
以後、輪番停電なるもので、我が家はしょっちゅう電気がとまった。
暗闇。
そうすると、オール電化の我が家はお湯も沸かせない。
冷凍食品も順次駄目になっていく。
ご飯を手にいれようにも、スーパー、コンビニ、品物は壊滅的になかった。
でも生きていける、全然生きていける。
我が家には懐中電灯が一つしかないため、緊急時にはドリライで買ったペンライトが大活躍。
「ドリライ6th☆」と書かれたペンライトのもと、ご飯を食べた。
ありがとう、ドリライ。
フォーエバー、テニミュ。
会社では、全国から集めた物資を、新潟経由で東北に送ることフル回転。
レトルトのカレーを7箱送ったところ、現地から「黄レンジャーにする気か!」と、苦情(?)が来る。
いいから、他の避難所に配っとけ!と、こっちも笑って応戦。
絶望しない限り、人はいくらでもあがける、もがける、がんばれる。
できることは何でもやろうと思った。
こういう時、「役に立たない」ということがどういうことか、考えさせられる。
たとえば、自分が何か我慢するとして、被災地の人がそれによって救われる、という因果関係は成立しない。
その場合、自己満足にしかならない。
逆に、我慢しなければならないこともある。まさに電気がそれだった。
でも、中部電力の人が節電しても、直接は被災地の助けにならない。
しても意味のない自己満足は、誰かの助けにはならない。
何をすべきで、何をすべきでないかは、見極めるに難しい。
でも、これからも、自分にできることは、たとえちっぽけでも、ちゃんと現地に届くのならば、全力で頑張ろうと思う。
そしてそれは、まず、自分のことを、しっかり責任もってやることが大事だと思った。
誰の迷惑にもならない、それが私に今できる精いっぱい。
余剰の力は、困っている人に。
でもまず、自分がしっかりと基盤を築き、人の手をわずらわせない。
それだけはしっかり頑張ろうと思う。