私にできる「精いっぱい」が節電だったので、自粛しておりました。
ひとまず東京電力が「ギリギリなんとか!」と言っていたので、それならば、と、ご心配くださったみなさまへ近況報告にと、まかりこしました。
こんなこと言うのもおこがましすぎるんですが、どうしても言いたくて。
被災された方々、本当に、本当に、ご心痛お察し申し上げます。
というか、さっき気のせいでなければウェブ拍手で・・・
被害甚大であった地域の方が コメントを残してくださっていたのですが・・・
・・・もう!よかったよ!!また会えてよかったよ!なんかもうありがとう!!!
こっちが元気をもらっちゃいましたよ!!
私の慰めなんて、文字通りちっとも慰めにならない予感なので、前回更新の能天気な日記から、本日までのへっぽこな日々を簡単につづります。
地震、当日。
会議室にいました。
揺れたとき、まさかこんなことになるとは思わず、もぐった机が脚にキャスターがついているタイプだったので用をなさない。ぐるんぐるん移動する机、机の下に入ることも不可能、なんですかこれ、と、いつ終わるんだ揺れ、と、現状把握できない状態が、しばらく続いた。
都内の電車は、すべて止まった。
すべて、だ。
道は車があふれかえり、50m進むのに1時間かかるような状態で、バスもタクシーも用をなさない。
会社から我が家まで、ざっくりと22.5km。
歩いて帰りました。
6時間半、かかった。
正直、4時間くらい歩いたところで、心がくじけそうになった。
ハイヒールはすれて痛い。
道はよくわからない。風が強くて、寒い夜だった。
地図を持っている他の人に尋ねたり、おまわりさんを見つけては駆け寄って聞いた。
早く家に帰りたかった。
不安だった、怖かった、親も家も心配だった。
5時間くらい歩いたところで、本当に泣きが入りそうになる。
足の裏のマメはつぶれたっぽい。
暗い道を、たくさんの人がそうであるように、黙々と歩く。
途中のコンビニはトイレのための長蛇の列、水も食べ物も買えそうになかった。
携帯も通じない。
時折メールが一気に届く。友達に無事だって言いたくて、何十回もトライして、やっと一言送信できる状態。正直、指がかじかんでた。
心配してくれるメールが届くたびに、もうちょっと歩いてみようと頑張れた。
全然平気だったよ!って、笑い話にしたかったから、嘘を本当にしようと歩いた。
6時間歩いたところで、もう駄目かも、と本当に思っった。
でも立ち止まったら歩けない気がした。
暗くて人寂しい道に、女一人でいることが怖かった。
やがて、最寄駅の駐輪場につく。
自分の自転車にまたがった。
自転車に座った途端、泣きたいほど疲れてたことに気づいた。
自転車最高・・・!ビバ、自転車・・・!
家に帰ると、暗闇の中、母が毛布にくるまっていた。
「どうやって帰ってきたの?」「歩いて」「・・・。」信じてもらえなかった。
父は会社に泊まると連絡があったそうな。
次の日、テレビで津波の映像を観た。
わけもなく泣いた。
水が迫る1秒、水に飲まれる1秒、自分が住んでいた家がめりめりと崩れる1秒、皆どんなに怖かっただろうと思ったら、体が震えた。泣いてる場合じゃねえと思った。
友達の安否が心配だった。
特に小さい子がいる人たち。
心配して連絡をくれた人、こういう時、弱音を吐かない友達、皆無事でいてくれと思った。
もちろん、被災地の人には及ぶべくもない。
でも、怖かっただろうし、危ない目にもあっただろう。
以後、輪番停電なるもので、我が家はしょっちゅう電気がとまった。
暗闇。
そうすると、オール電化の我が家はお湯も沸かせない。
冷凍食品も順次駄目になっていく。
ご飯を手にいれようにも、スーパー、コンビニ、品物は壊滅的になかった。
でも生きていける、全然生きていける。
我が家には懐中電灯が一つしかないため、緊急時にはドリライで買ったペンライトが大活躍。
「ドリライ6th☆」と書かれたペンライトのもと、ご飯を食べた。
ありがとう、ドリライ。
フォーエバー、テニミュ。
会社では、全国から集めた物資を、新潟経由で東北に送ることフル回転。
レトルトのカレーを7箱送ったところ、現地から「黄レンジャーにする気か!」と、苦情(?)が来る。
いいから、他の避難所に配っとけ!と、こっちも笑って応戦。
絶望しない限り、人はいくらでもあがける、もがける、がんばれる。
できることは何でもやろうと思った。
こういう時、「役に立たない」ということがどういうことか、考えさせられる。
たとえば、自分が何か我慢するとして、被災地の人がそれによって救われる、という因果関係は成立しない。
その場合、自己満足にしかならない。
逆に、我慢しなければならないこともある。まさに電気がそれだった。
でも、中部電力の人が節電しても、直接は被災地の助けにならない。
しても意味のない自己満足は、誰かの助けにはならない。
何をすべきで、何をすべきでないかは、見極めるに難しい。
でも、これからも、自分にできることは、たとえちっぽけでも、ちゃんと現地に届くのならば、全力で頑張ろうと思う。
そしてそれは、まず、自分のことを、しっかり責任もってやることが大事だと思った。
誰の迷惑にもならない、それが私に今できる精いっぱい。
余剰の力は、困っている人に。
でもまず、自分がしっかりと基盤を築き、人の手をわずらわせない。
それだけはしっかり頑張ろうと思う。