地元の鴨鍋屋さんで開催いたしました!!
うまい!うますぎる!!
それ以上に量たっぷり!!
食べていると、お店のオバチャンがチェックをしに来て
「うん、上手に作れているわね」と仰っていました。
お野菜を入れる順番などを間違えると怒られるのだそうです。
怖っ。
でも本当に美味しかったです!!
生まれて初めて食べました。
カモたっぷり。
お義母さまを相手に「ちーたん」トークが止まらない私(本当にご迷惑をおかけいたしました)。
ちーたんのあの部分が!あの台詞が!!と熱弁する私、「何で!?何でそこですか!?わかりません!」と笑い転げるお義母さま、それでもしつこくちーたんへの愛をかたる私、誰にもとめられない。
他にもネオロマトーク、学プリにおける橘の反則っぷり等、ガンガンに飛ばしていたのですが、とにかく濃い時間を過ごさせていただきました。
衝撃的だったのは、お義母さまがお産をなさった病院と、私が生まれた病院が一緒だったということです。
どんだけローカルにかぶってるんだ!!
(帰宅後、母に確認したところ、やはり某病院で間違いなかったです。で、近くの東急で買い物中に破水したらしい)
しかし一番の衝撃は、お義母さまの「え?テニスの『王子様』って、手塚のことじゃないんですか?」というお言葉に、私は天啓を得た気分でした。
そうか・・・!そうだったのか!!
いつかお義母さまに「手塚」を捧げようと心に誓いました。
本当にお付き合いいただいてありがとうございました!
写真、嬉しかったですvvv
お気に召してよかった・・・・v
そのほか、皆様メッセージをありがとうございました・・・!
ハトアリ読んでくださった方がいてよかった・・・・!;
例のアレも・・・ひい。
一人でドキドキしっぱなしだったので、ありがたいやら汗顔の至りです。
これからも頑張ります。
そして皆様に発表がございます。
当方、ネオロマの「新作」が出ないのに業を煮やし、ついに買ってしまいました。
ずっと気になっていたゲーム。
学園ヘブン(全年齢対象版)
どうなることやら・・・!!
噂はかねがね聞くのですが、まったくもってどんなんだか・・・!
これからしばらく一人でボーイズラブ祭を始めます。
・・・どんなんだろう・・・・!
社会人一年目の時。
真っ先にした仕事が「損害保険」の仕事でした。
その時にほんっとーーーーにお世話になった取引先のお兄さん(2人の子持ち)の誕生日を、毎年必ずお祝いしていたのですが・・・・ことしはスコンと忘れてしまった。
まるっと1週間がたち、夜中に思い出し、あわててメールした。
しばらくして返信が来た。
社会人になってから、仕事がらみで知り合いになった人=利害関係のみで、会社を辞めたら二度と関わらない程度の付き合い みたいな気持ちだったのですが。
お互い、本当にまったくかかわりがなくなった今でも、なんというか、そういうことじゃなくて、人としての関係が築けたことが、嬉しい。
そして、約2年くらい、絶縁状態だったひとと、今日、仲直りをした。
大人になってから仲直りとか、ありえないシチュエーション。
しかし、頭を下げられ、「今までの失態はなかったことにしてください!本当にすみませんでした!」と言われ、右手を差し出された。
とにかくコイツが嫌いだった。
傷つけられて、二度とコイツと口をききたくないと泣きながら誓ったこともあった。
けれど、こうして、ずっと相手の心のどこかに引っかかってるのも可哀相だったし、その重さを知っているから、黙ってこちらも右手を差し出した。
握手したとたん、相手が「あーーーこれで、心のつかえが取れた!!もう、今日はとにかく楽しい一日だ!!」と言っていた。
うまくいえないが、誰かの心に引っかかったままでいるのは、何となく嫌だったから、これでいいと思った。
まだダイキライだけど。
貴重な体験だったかもしれない。
正直、好きな人となら仲直りがしたいが、嫌いな奴とは喧嘩したら一生そのままでもいいと、思っていた。
でも、そうすると、相手の心にずっとわだかまりが残るんだなと。
それは嫌だなと。
うまくいえないけれど。
相手を嫌う私の心情と、先に傷つけられたからって、相手を傷つけていい理由にはならないなと。それは別だと。
傷ついたのは、つきつめれば私側の問題で、相手にそれを告げるのはエゴだったな、と。
今日は随分貴重な体験をした一日だった。
記録記録。
皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか。
さてはてこの私ですが・・・
女友達と神社にお参り
はい、もう死亡フラグがプンプンですね!
しかもこのお参りの目的が「大神クリアした!=アマテラスオオミカミ最高!=よし、神社行こう!(あえてバレンタインに)」という流れ。激痛。
ということで、「関東のお伊勢」と呼ばれる神社に行ってきました。
お賽銭を入れました。
私の5円玉だけがお賽銭箱から弾かれました。
死亡フラグその2!!
まじで!なぜピンポイントに!!
嘆く私を、お守り売り場の人も笑っていました。
お参りを終え、友人の「職場用のチョコを買いたい」という言葉で、銀座のデパートへ。
そこで、つねづね売り切れで手に入らなかった幻の日本酒を発見。
一升瓶を買いました。
最終死亡フラグ。
バレンタインに幻の日本酒を一升まるっと買う女は、そうそういまい。
でもさ!仕事の帰りとかに何度も通ったけれど、いつも品切れだったんだもん!!
蔵元が頑固一徹で、気に入ったお店にしか卸さないので有名なんだもん!
お一人様1本限りっつうから、こりゃもう買うしかないなと・・・!
その後、友人宅で一緒にご飯を作って食べて、アイドルマスターについて詳しくなって帰って来ました。
最高のバレンタインでした(良い笑顔)。
来年はお互いにもうちょっと空気を読もうな・・・。
というか社会人になってから、ちーたん以上に人を好きになれないんだけど、ということを熱弁したら、ものすごい冷笑をされました。
ひゃっほう!!
いろいろと、私なりの、足りない頭で考えたのですが。
人がいる意味 って、きっと、そんなすごいものじゃないのでは、と。
というのも。たとえば。
祖母の葬儀のときに、親戚一同が集まりまして。
その中に、いつも陽気な叔母がおりまして。
正直、そんなに親しみを持っていたわけではなかったのですが、久々にお会いできたことが嬉しく、ごあいさつをさせていただきました。
その時からさかのぼって、20年以上前。
子供の頃、私と従姉達がマタタビを食べていました。
叔母は、そんな私たちに「マタタビの名前はどこから来たか、知ってる?」とたずねました。
そして語ってくれました。
「あるところに旅人がいました。お腹もすいて、ノドも乾いて、足も疲れて、クタクタでした。もう歩けない、もう旅はここまでだ、とぐったりとしたとき、目に映った木の実がありました。旅人は恐る恐る食べてみます。するとどうでしょう。渋いけれど、ほろ苦いけれど、とてもいい香り。ああ、ノドもうるおった。これはありがたい。神様の下さった実だ。ああ、ありがたい。旅人は言いました『これで また旅ができる』と。それが、マタタビの由来なのです」
当時おさなかった私たちは「また旅」=「マタタビ」の発見に感動。
おおおおっ!と、大喜びしたものでした。
それは子供にとって、十分、説得力のある、不思議なお話でした。
真偽の程はわかりません。
出典も知りません。
その話を耳にしたのは、それが最初で最後。
そして祖母の葬儀に話を戻します。
その叔母に、「私、未だにあの話を覚えてますよ。おばさんがしてくださった、マタタビのお話」と伝えました。
瞬間、叔母は、「雷に打たれたような」反応を示しました。
ビールを持つ手をとめ、絶句したのです。
そして、目をうるませていました。
「あの話、覚えてくれてたの?旅人がマタタビの実を食べる、あの話?本当に?」
「はい」
「あれはね、死んだ私のお母さんが、子供のときに私に教えてくれた話なのよ。覚えていてくれたの?こんなに大人になるまで?」
叔母が心の底から喜んでくれたことは、偽りなく伝わりました。
あんまりに叔母が嬉しそうで、本当に嬉しそうで。
あとでしみじみと思ったのです。
人は、誰かの話を聞く、たったそれっぽっちの、ささやかな事をするために生まれてきたのかもしれない。
そしてそれをいつの日か誰かに、伝えるためだけに、生きていくのかもしれない。
たとえばそれが、もしかしたらもっとくだらない事だとしても。
叔母のお母様も、叔母にその話を託して。
叔母はその話を、自分の子供や、私なんかに伝えてくれて。
私はそれを、幾多も聞いたさまざまな話の中から、記憶にとどめた。
それに意味はない。すごいことでも何でもない。奇跡でも何でもない。
でも、そんな、ちっぽけで、ささやかなことだけでも、私はこれをするためにあの日あそこにいたのかもしれない。
生きていく意味なんて、すごくゴリッパなものなんかじゃなくてもいい。
ささやかで、ちっぽけで、くだらなければくだらないほど、良いと思う。
正直、大切なこととは思えないささやかな話が。
母と娘の、大切な思い出の切れ端だったなんて、全然しらなかった。
そういうことは関係なく、誰かの話を、ただ、聞くだけ、そのために、私たちは生きているのかもしれない。
世界人類を救うとか、ものすごい特効薬を開発するとか、未知の生物を発見するとか、そういう誰が聞いてもすごい偉業を成し遂げることだけにしか生の価値が見出せないとは、どうしても思えない。
私は誰かのつぶやきを聞くためだけに生まれてきた。
それだけで、十分幸福だ。
いつか誰かが私の話したさり気ないどうでもいい話を、それもなるべく下らない話なんかを、たまたま死ぬまでずっと覚えてくれたりしちゃっていたら、それはもう、私が生きたということに、十分お釣りが来ると思う。
今日は暑いね、と笑った友人の横顔を、なぜかずっと覚えているんだよね、というような生き方がしたい。
時々思い出すのだけれど、貴方のあの口癖おかしかったと、50年後も言ってもらえるような。
そんな幸せな人生、素敵だと思う。
人が生きる理由なんて、生きていくべき理由なんて、そんなものでいいんじゃないかなと。
私は、思う。
貴方じゃなきゃ意味がない、アナタだからこそ、なんてスゴイ人生を目指さなくても。
誰も誰の代わりじゃないから、そんなのとっくにクリアしていると思う。そこにこだわらなくても。