「微妙なゲームってもしかして△◆ですか?」と多数お問い合わせが来ましたが
みなさん正解。
一人も間違ってなかった。
どんだけぇぇぇぇぇぇ!!
そう・・・あの手、凄かったですよね・・・なんつうかミッキーマウスかお前、みたいな。
個人的には石田彰の無駄づかいにもほどがあると思った。
なん・・・・ですか・・・・真夏にあの格好・・・。
今夜は花の金曜日だろうが問答無用で帰宅、サマーウォーズを観るために・・・!
なんというか、ガンパレのSランクを観た気持ちを思い出しました。
いっけええええ!!!!!!!みたいな。
今週はずっとパンシロンをひたすら摂取する生き物と化していましたが(ストレス性胃炎で、脂汗が出るほど胃が痛かった・・・)なんとか生きてます、死ねません、なぜならオタクだから。
明日は集団で無意味に山に登ってきます!
ってか先々週も登ったんだけど!
山に登ると、いろいろな取りとめもないことを考えます。
「自分」にあれほど集中できる時間ってそうそうない。
でもまあ、無意味に決起集会ばりに人数が集まったので、私もまさか十人以上で山を登るはめになるとは。なんだみんな。どんだけ山に登るんだこのクソ暑い中。
むしろ山登りというよりも山占拠、みたいな。
よっしゃあ、野郎ども、行くぜーーーー!!
ということで、明日みょうにテンションの高い十数人のいい大人が、山道を登っていたら、私たちかもしれません。
私も正直、帰りたくないんだが・・・。
というか祖父の葬式以来、約15年一度も会っていなかったのだから、親戚も赤の他人同然だ。
たぶん、町ですれちがっても気づかない。
牧場は閉鎖したので、牛はいなくなったからいいものを・・・。
父の田舎は、本当にド田舎(なにせ広島駅に出るまで3時間かかる)なので、何もないのだ。そこで3日間過ごせという。拷問だ。
そんな、30歳の夏休み。
「おばあちゃん」に当たる人がいるのだが、私とこの人は血がつながっていないので、「血がつながっていないけれど戸籍上祖母に当たる人」を、便宜上おばあちゃんと呼称しているのだが(名前で呼ぶのも不自然だし)、けっこう気を使う。向こうもたぶん私を孫にカウントしていないと思う。少なくとも15年前には私の名前も忘れていた。私も先方の顔を覚えていないので、この勝負ドローである。
ちなみに本当の「おばあちゃん」は原爆症で亡くなった。写真でしか見たことがないけど、綺麗な人だった。父に全然似ていない。(悔しくて仕方がない)
爆心地から90kmも離れてるのになんで被ばくしたのか不思議だったんですが、原爆なんて知らなかった当時の人たちは「広島市に大きな爆弾が落ちて、大変な被害にあったらしい」という噂を聞きつけ、即、大勢の人が救助に駆け付けてしまったのだそうだ。
落下後、何十年も植物が根付かないと言われる、そこに。
親切心で。
それでもがいて苦しんで吐血して死んでいかなきゃならなかったんだから、本当に皮肉な話だ。
余談。
ということで遠い上に血のつながりがないので、今までの人生でほとんど立ち寄ったことがない父方の田舎だが、いま行かなかったらもう一生帰らない気がするので、最後の行きおさめに、きちんとご挨拶してこようと思う。せめて祖父母のお墓参りに。
ちなみに春雨一族は「清和源氏の流れをくんでいる」(父談)だそうだが、そもそも日本人の9割くらいは自称清和源氏な気がするので、うさんくさい。
多分絶対違う。
それよりも父が「・・・このあたり、落人伝説があってな・・・春雨家の敷地内に『絶対に開けてはいけない土蔵』がある」と語っていたので、むしろ平家なんじゃね?落人っぽくね?なんか叩いたらホコリ出てくるんじゃね?というお粗末さなので、それについては深く追求しないようにしている。父は開けてはいけないという土蔵をガッツリ開け、家宝を売り飛ばして豪遊していたという。たぶんこの秘密は私と父しか知らない。
ただ、本宅は釘を一本も使わないで組み立てた、ナントカ式の旧家屋で、どっかの大学の偉い人が調査に来たそうだ。文化財に指定されるかも(あまりにも古すぎるから。貧乏なので家を建て替えられなかったからというお粗末な理由)という不穏な言葉をきき、「文化財なんかに指定されたら、増改築もできなくなる!不便!」とおののいた一族によって、いきなりこっそり全部建て替えました。あとですげえ怒られたらしい。
源氏だか平家だかじゃなくて、確実に国賊だと思う。
そんな春雨一族。
せっかく広島に行くのだし、せめて宮島観光くらいはと、先ほどフェリーの時間等を調べていたら、出てくる写真ことごとく遙か3のスチルに出てきたものばっかりなので、妙にテンションが上がってしまった。
憂鬱だったけれど、ちょっとだけ楽しみになってきた!
あと、おぼろげだけど覚えてる。
本当に小さいとき、一度、家族で宮島に行ったことがあった。
フェリーの上で、兄とぴょんぴょん飛び跳ねてたのを思い出した。
たぶんあれは宮島行きのフェリーだ。
そのあと、海に浮かぶ鳥居を見たから。
あれが最初で最後だったと思う。
余談だが、仕事の関係で8月5日に広島市内の宿をとろうとしたら、1軒も空きがなかった。
不思議に思って観光協会に電話をしたら「6日が原爆の日なので・・・」と言われ、思わず電話口で「・・・ああっ!!」と絶叫してしまった。前日だ。とれるわけがない。けど。
たぶん、私はこの世で一番失礼なことをしでかした。
「・・・・・・すみません、そんな大切な日だって忘れていて・・・・・・」と死にそうな思いで謝ったら、先方は親切に、空きが出たら連絡しますね、と言ってくださった。
そりゃあ取れねえよなぁ・・・・と笑える気持ちと、それ以上に自分がすごく無神経だったことに軽くショックをうけつつ、とにかく今年の夏は広島に帰省します。
元同僚・会社のデスクトップが三輪明宏だった・伝説のAさんから、「会社辞めたい・・・」とメールが来た@仕事中。
あの馬鹿、また一人でいろいろため込んでやがるな?
そうなる前に吐きだせっつっただろーが!
そう、ぷりぷり怒りながら仕事の後、待ち合わせをして話を聞くことにした。
待ち合わせ場所。
先についていたらしきAが、「あっ」と笑う。
私もそれに気づいて笑う。
A、全力で走りだす。
私、満面の笑みで追いかける。
銀座のど真ん中、通行人に振りかえられながら80m全力疾走した。
(意味不明)
追いついた時、お互いゲラゲラ笑って言葉にならなかった。
「落ち込んだ時は甘いものが一番!」という趣旨で、「プリンチョコクロワッサン(激甘)」を無理やり食わせて、仕事の悩みを聞いた。
彼女は最近、悲しい事故で肉親を失ったばかりで、それでなくとも落ち込み気味だったのに、心が優しいばっかりに、そのほかの痛みを一人で引き受けてしまって閉塞的になってしまっていた。
そういうところ、彼女のいいところだけど、私から見たら、彼女が泣くくらいだったら他の見ず知らずの誰かが泣けって思う(鬼)
私は、会社に行きたくなくてうつむいて、雨の中とぼとぼ歩いていた時に、彼女が後ろから追いついて傘をさしてくれた、あの何とも言えない瞬間を、一生忘れない。
考えてみたら、雨にぬれている自分を心配してもらったの、あれが生れてはじめてだった。
助けられてたのはいつも私だった。
本人には言ってないけれど、あの時に思わず泣きそうなくらいうれしくて、彼女がいてくれて良かったって、何か見えない大きなものに感謝した。
今度、昔みたいに、徹夜でカラオケしようね、って約束して別れた。
昔、仕事も私生活も夢中で馬鹿をやってた頃。
二人でゲラゲラ笑ってたあの時。
もう一回やって、あの目にしみる朝日を見て「あーーーー遊んだ!!」って伸びをするために。
今日も頑張って働くぞ。