新潟市内の某博物館の入り口に、このようなたて看板が堂々とおいてあるらしい。
新潟に出張に行った上司に「こういう言葉があるの?」と聞かれたが、知らん。
ひょっとして、古い世代なら知ってるのかしら?
連日の雨、今週も残りはずっと雨、さぞや気が滅入っているだろうと、会社帰りに親戚の大叔父・大叔母の家に立ち寄った。
目に嬉しい花束と、おじさんの大好きな老舗のあんこ菓子を持参。
やはり二人暮しの年寄りは、雨ともなると外にも出られず来客もなく、本当に閉塞的な感じですごしている、しかもこの陽気に体力がついていくのもやっとらしい。行くと無駄に喜んでくれた。そ・・・そんなに歓迎されると、日ごろ疎遠なのが後ろめたい。
で、新潟出身の両者に「新潟では、杉と男は育たないって言葉があるって、本当?」と聞いたら・・・
普段は温厚な大叔父、激怒。
「とんでもない!!新潟の男は偉大だ、山本五十六をはじめ、太平洋戦争では陸軍中将の・・・」
あわわわ ;
「幕末、明治維新でも活躍した志士の○△×・・・・」
うわわわわ ;
歴史マニアを自称していた私も聞いたことがない、歴史上の著名人(らしき)人たちの羅列、軽くひるむ。
「だいたい、大河ドラマだって、いま、新潟は脚光を浴びてるだろ!上杉謙信公、兼続、いすれも名将だろ!そんな言葉はうそだ!」
郷土愛のつよい世代には地雷だったようです。
コッチコチに固まった大叔父の肩をもみほぐし、食器を洗って昔話に相槌をうち、ここのところの近況を聞いて、時間はあっという間に過ぎた。明日も仕事だ。そろそろ、おいとま乞いをせねば、と時計を見る。
かえるね、というと、二人そろって階段をヨタヨタおりてまで、玄関に見送りに来てくれた。
今度は手ぶらでいらっしゃい、それが一番嬉しいんだから、と念を押される。
大叔母が、駅前まで送ってくれるというので、言葉に甘えて手をつないで一緒に歩いた。
途中で大叔母が、ぽつんと、「(新潟の)おばあちゃんが生きていたら、こうして春雨に手をつないで歩いてもらえたのにね・・・・」と言った。
とたん、何でか知らないけれど、涙がぼろんぼろんこぼれた。
そういえば大人になって、こうしておばあちゃんと手をつないで歩いたことなかった。
チャンスは無数にあったのに、大切なものを、全然大切にしてこなかった。
ぶわあああ、と泣きながら、手をつないで歩いた。
商店街を通ったので、人通りも多く、いま振り返ると恥かしいが。
ぼろぼろ泣いて歩きながら、「いいもん、おじさんとおばさんがいてくれて良かったもん」と言ったら、ふふ、と大叔母が笑った。
横断歩道をわたりきり、振り返ると、横断歩道の向こう岸で大叔母がこっちを向いていた。
思い切り手を振った。
手を振りかえしてくれた。
じつは大叔母は、ちょっぴり痴呆が始まっており、時々会話がかみ合わなくなる。
壊れた機械みたいに、昔のことを脈絡もなく語りかけてくる。
このときも、ちょっと話がかみ合わなくなったり、目がうつろで無反応な瞬間があったりした。
でもここ最近の話ではない。ずっとだ。
私も不勉強なので、痴呆とアルツハイマーとボケと健忘症の違いなんてわからないけれど、大叔母は、最近自分がどうもボケているらしい、と自覚しだし、それをひどく切ながっている。
けれど、幼い頃の私に話してくれた『お地蔵様の話』は、覚えていてくれた。
あと自分の愛娘の大失恋の話、初孫がお食い初めの時にやらかした失敗談は、覚えていて、私を相手に一生懸命話してくれた。
いろんなことを、ぽろぽろ忘れても、大切なことだけは、覚えていてくれてたらそれでいい。
いつか、私に「あんた誰?」って言う日が来ても、私はおばさんに可愛がってもらったことを忘れない。
だから全然いい。
おじさんは7月10日が誕生日だと、初めて知った。
今度で84歳になるのだそう。
じゃあ米寿にはドカンとお祝いしないとね、今一番したいことは何?と聞いたら、「競馬で10万くらい、思いっきり使ってみたいなぁ」なんて無邪気に言うものだから、私は4年後にむけて、せっせと小遣いをためる決意をするのである。
待ってろよおじさん!
新潟に出張に行った上司に「こういう言葉があるの?」と聞かれたが、知らん。
ひょっとして、古い世代なら知ってるのかしら?
連日の雨、今週も残りはずっと雨、さぞや気が滅入っているだろうと、会社帰りに親戚の大叔父・大叔母の家に立ち寄った。
目に嬉しい花束と、おじさんの大好きな老舗のあんこ菓子を持参。
やはり二人暮しの年寄りは、雨ともなると外にも出られず来客もなく、本当に閉塞的な感じですごしている、しかもこの陽気に体力がついていくのもやっとらしい。行くと無駄に喜んでくれた。そ・・・そんなに歓迎されると、日ごろ疎遠なのが後ろめたい。
で、新潟出身の両者に「新潟では、杉と男は育たないって言葉があるって、本当?」と聞いたら・・・
普段は温厚な大叔父、激怒。
「とんでもない!!新潟の男は偉大だ、山本五十六をはじめ、太平洋戦争では陸軍中将の・・・」
あわわわ ;
「幕末、明治維新でも活躍した志士の○△×・・・・」
うわわわわ ;
歴史マニアを自称していた私も聞いたことがない、歴史上の著名人(らしき)人たちの羅列、軽くひるむ。
「だいたい、大河ドラマだって、いま、新潟は脚光を浴びてるだろ!上杉謙信公、兼続、いすれも名将だろ!そんな言葉はうそだ!」
郷土愛のつよい世代には地雷だったようです。
コッチコチに固まった大叔父の肩をもみほぐし、食器を洗って昔話に相槌をうち、ここのところの近況を聞いて、時間はあっという間に過ぎた。明日も仕事だ。そろそろ、おいとま乞いをせねば、と時計を見る。
かえるね、というと、二人そろって階段をヨタヨタおりてまで、玄関に見送りに来てくれた。
今度は手ぶらでいらっしゃい、それが一番嬉しいんだから、と念を押される。
大叔母が、駅前まで送ってくれるというので、言葉に甘えて手をつないで一緒に歩いた。
途中で大叔母が、ぽつんと、「(新潟の)おばあちゃんが生きていたら、こうして春雨に手をつないで歩いてもらえたのにね・・・・」と言った。
とたん、何でか知らないけれど、涙がぼろんぼろんこぼれた。
そういえば大人になって、こうしておばあちゃんと手をつないで歩いたことなかった。
チャンスは無数にあったのに、大切なものを、全然大切にしてこなかった。
ぶわあああ、と泣きながら、手をつないで歩いた。
商店街を通ったので、人通りも多く、いま振り返ると恥かしいが。
ぼろぼろ泣いて歩きながら、「いいもん、おじさんとおばさんがいてくれて良かったもん」と言ったら、ふふ、と大叔母が笑った。
横断歩道をわたりきり、振り返ると、横断歩道の向こう岸で大叔母がこっちを向いていた。
思い切り手を振った。
手を振りかえしてくれた。
じつは大叔母は、ちょっぴり痴呆が始まっており、時々会話がかみ合わなくなる。
壊れた機械みたいに、昔のことを脈絡もなく語りかけてくる。
このときも、ちょっと話がかみ合わなくなったり、目がうつろで無反応な瞬間があったりした。
でもここ最近の話ではない。ずっとだ。
私も不勉強なので、痴呆とアルツハイマーとボケと健忘症の違いなんてわからないけれど、大叔母は、最近自分がどうもボケているらしい、と自覚しだし、それをひどく切ながっている。
けれど、幼い頃の私に話してくれた『お地蔵様の話』は、覚えていてくれた。
あと自分の愛娘の大失恋の話、初孫がお食い初めの時にやらかした失敗談は、覚えていて、私を相手に一生懸命話してくれた。
いろんなことを、ぽろぽろ忘れても、大切なことだけは、覚えていてくれてたらそれでいい。
いつか、私に「あんた誰?」って言う日が来ても、私はおばさんに可愛がってもらったことを忘れない。
だから全然いい。
おじさんは7月10日が誕生日だと、初めて知った。
今度で84歳になるのだそう。
じゃあ米寿にはドカンとお祝いしないとね、今一番したいことは何?と聞いたら、「競馬で10万くらい、思いっきり使ってみたいなぁ」なんて無邪気に言うものだから、私は4年後にむけて、せっせと小遣いをためる決意をするのである。
待ってろよおじさん!
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