人様から、「職人さんが一つ一つ手作りでつくった金平糖」を頂いた。
私が小学生のときに、校長先生が朝礼でこんな話を聞かせてくださった。
戦時中、食べ物すべてが貴重品だったころ、金平糖などという甘いお菓子は滅多に食べられるものでなく、非常に貴重なものだったそうだ。
当時まだおさなかった校長先生には、一人、壮絶にお金持ちのお友だちがおり、戦時中だったにもかかわらず、そのこは潤沢にお菓子を食べていたそうだ。
その女の子が、ある日、校長先生に「金平糖をあげる」と言ってくれた。
けれど、物資が乏しいその時代。
貴重な金平糖を『めぐんでもらう』のは、子供心に気が引けた先生は、黙って首をふったそうだ。
本当はもらいたい。食べたい。
でも、時代がそれをゆるさなった。
頑なに首をふる先生に、友人は無邪気に、一粒だけでも、ホラ!と、ふさいだ口の合間から、無理に1粒、ねじ込んでくれたそうだ。
先生は、いつもなら金平糖など、ガリガリと噛んでのみくだしてしまうところ、罪悪感と、少しでも甘味を味わいたいのと、申し訳なさと、いろいろな気持ちで、その一粒の金平糖を噛み砕くことができなかったそうだ。
最後まで金平糖をなめきると。
「金平糖のタネ」が舌の上に残ったそうだ。
本来、金平糖は、「タネ」になるものを砂糖で炒ってすこしずつあの形にしていくそうだ。
けれども昨今では機械でがーッとつくるからか、芯などなく、すべて砂糖でできているものがほとんどだ。
舐めきっても、何も舌の上に残らない。
子供の頃に聞いて以降、なんども金平糖を食べたが、ついに「金平糖のタネ」がクチに残ったことはなかった。
けれど、今回いただいた金平糖を、ためしにかまずに最後まで舐めきって見ると、口の中に、ほんのりと残るものがあった。
これか。
これが、先生の言っていた、何十年も前に口の中にのこっていたという、タネか。
20年ぶりに、夢が叶いました。
これか。
これがそうなのか。
人が話した何気ない話を、私は幾つになっても宝物みたいに覚えている。
私が小学生のときに、校長先生が朝礼でこんな話を聞かせてくださった。
戦時中、食べ物すべてが貴重品だったころ、金平糖などという甘いお菓子は滅多に食べられるものでなく、非常に貴重なものだったそうだ。
当時まだおさなかった校長先生には、一人、壮絶にお金持ちのお友だちがおり、戦時中だったにもかかわらず、そのこは潤沢にお菓子を食べていたそうだ。
その女の子が、ある日、校長先生に「金平糖をあげる」と言ってくれた。
けれど、物資が乏しいその時代。
貴重な金平糖を『めぐんでもらう』のは、子供心に気が引けた先生は、黙って首をふったそうだ。
本当はもらいたい。食べたい。
でも、時代がそれをゆるさなった。
頑なに首をふる先生に、友人は無邪気に、一粒だけでも、ホラ!と、ふさいだ口の合間から、無理に1粒、ねじ込んでくれたそうだ。
先生は、いつもなら金平糖など、ガリガリと噛んでのみくだしてしまうところ、罪悪感と、少しでも甘味を味わいたいのと、申し訳なさと、いろいろな気持ちで、その一粒の金平糖を噛み砕くことができなかったそうだ。
最後まで金平糖をなめきると。
「金平糖のタネ」が舌の上に残ったそうだ。
本来、金平糖は、「タネ」になるものを砂糖で炒ってすこしずつあの形にしていくそうだ。
けれども昨今では機械でがーッとつくるからか、芯などなく、すべて砂糖でできているものがほとんどだ。
舐めきっても、何も舌の上に残らない。
子供の頃に聞いて以降、なんども金平糖を食べたが、ついに「金平糖のタネ」がクチに残ったことはなかった。
けれど、今回いただいた金平糖を、ためしにかまずに最後まで舐めきって見ると、口の中に、ほんのりと残るものがあった。
これか。
これが、先生の言っていた、何十年も前に口の中にのこっていたという、タネか。
20年ぶりに、夢が叶いました。
これか。
これがそうなのか。
人が話した何気ない話を、私は幾つになっても宝物みたいに覚えている。
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