サイトのお客さんが、というか、私にとって大切な子たちが、そろいもそろって就職活動中だというので、ここでひとつ、このオバさんから何の益にもならんだろうけど、誰も語らないであろう赤裸々就活体験をつづります。
時間にゆとりがあるときに読んでください。
以下、反転。
私の時も就職氷河期と呼ばれていたが、今の氷河っぷりはその比じゃないらしい。
「あれ」よりもつらいんだから、相当だと思う。
あの頃は本当にイッパイイッパイだった。
気持ちにゆとりなんぞあるか、と。
現実逃避で心の均衡たもつのが精いっぱいで、正直、他の人からの温かい言葉なんて、こころに沁みるよりもざっくり来る、どうしようもない精神状態だった。
寒過ぎてかじかんだ手を、ぬるま湯に入れると激痛が走る、そんくらい。
気付きました。今まで自分がどんだけ守られてきたかと。
「学生」「こども」その不思議な魔法。
どれだけ周囲に守られて、それにすら気付かず全部自力で積み上げた環境だとか勘違いしてた。
世の中に手加減されてたことを知らなかった。
「学生だから」「こどもだから」「女だから」
守られてきたのが、一気に反転します。
学生であること、まだまだ子供であること、なにより女であること、すべてが自分の敵になります。
面接官からうけた屈辱
試験、と称して便所掃除をさせられたこと(この会社は数年後潰れたので、神はいる!と思った)
そのほか思い出したくもないこともいっぱいあった。
毎日泣いてた。
集団面接で仲良くなったほかの就活生と、駅まで一緒に帰った時、とんでもない話を聞いた。
そんな馬鹿な、と思ったけれど、彼女の目が嘘をついていなかったので、真実だったと今でも思っているのだが。
面接官であった、社長の息子が、面接後、彼女を個人的に「食事に」誘ったのだという。
そして、「そういうこと」を、迫ったのだという。
普通に考えれば、そんなの、訴えてやればいい、告発してやればいい、間違いなく悪いのは向こうで、純度100%でこちらが被害者なのに、それでも、そんな目にあってでも、その仕事に就くのが夢で、どうしても嫌だと言えなかった、とその子は初対面の私の前で泣いた。
ゆとりがあれば、安全な場所が確保されていれば、不正を不正とただせるのに、その選択肢すらもらえない、そんなに追い詰められる子もいる。
逆に、そんなの全然ない人も、確かにいる。
内定をひょいっともらえて、「何がそんなにつらいわけ?」と、平然と言い放ってしまう人も、いる。
何社も何社もおちると、筆記じゃなくて面接でおとされると、いらないって言われた気になる、劣っていると言われた気になる、自分があり得ない数の人に否定され続けた気になる、それが嬉しいとか思える人っているのだろうか。
兄はバブルの時代、むしろ会社から来てくれと頭を下げられて就職した。
だから、親は私が内定が出ないのを、信じられなかったそうだ。
そんなに自分の娘は社会でつかえないとみなされる、とても恥ずかしい生き物だと、本当に愕然したのだそうだ。
毎日恥ずかしいと言われ、就職できなかったら家を出て行けと言われた。
周りの友達はつぎつぎと内定を取ったり、資格試験に受かったりしていく中、
人生で、多分、本当に一度だけ。
発作的に自殺しようとしたことがある。
夜中、突然、目が覚めて、「包丁で手首を切らなきゃ」と、意味不明なことを思った。
いますぐ起きあがって、台所に走って、手首をザクザク切らなきゃ、いますぐ絶対斬らなきゃ
なんの脈絡もなく、猛然とそう思った、ことがあった。
けれど連日、なれないヒールで走り回ってとにかく疲労困憊していたので、起き上がる気力がなかった。
そのまま「斬らなきゃ・・・」と思いつつ、ねむりについた。
発作的に死のうなんて思ったのはあれが最後だ。
あとはなれないヒール、つぶれたつまさきのマメを洗いながらメソメソするくらいの日々で、あの頃は1年後の自分がどうなっているかさえもわからなくて、本当に怖かった。
ある時、会社説明会で、入社一年目の社員さんが言った言葉が、いまでも忘れられない。
「きっといま、皆さんはつらいと思います。でも、つらいからこそ、感謝の心を忘れないでください。周りを見てください。冷たい人ばかりじゃないはずです。ささえてくれるひとが本当に一人もいないなんて、嘘です。絶対にいるんです。それを見落とさないでください」
使い古された言葉だろうけれど、私はその言葉がすとんと胸に落ちた。
その社員さんはさらに、こう言った。
「『頑張れ』なんて、言いません。皆さんがいまここにいるということは、頑張っている証拠です。頑張らなくてもいい、でも、感謝だけは忘れないでください。それは、今に限らず、これからの人生の全部に意味があることです」
あの言葉は、本当に、一生わすれないだろうなぁ。
そして迎えた運命の日。
私にゆいいつ内定を出してくれた会社の面接の日。
面接室に誘導してくれたお姉さんが、コチコチに固まっていた私を扉の前に誘導してくれて、扉をひらきながら、わたしが部屋に踏み出そうと彼女の前をとおったとき、本当にささやくようにひとこと「頑張ってね」って言ってくれた。
あの瞬間、囁き一つが、本当に救いになることを思い知った。
晴れて就職できました。
お姉さんとも再会できた。
私がその人のことをどれだけ大好きで、どれだけ感謝しているか、いやってほど伝えました。
会社が変わった今でも、そのお姉さんとは飲みの席でご一緒させていただける間柄です。
いま、あのつらい時期を振り返って思うことは、
追い詰められて精いっぱい過ぎて、大切なことを考えなかったなぁという反省。
本当に自分がやりたい仕事は?
何がしたい?
なにができる、じゃなくて、何がしたい?
内定がもらえればどこでもいいや!と、業種を掘り下げずに手当たり次第うけてなかったか?
その会社に興味もないのに、入りたいなんて嘘言ったって、じゃあ何するの?って聞かれて、模範回答しか出なかったら、相手だって何千人も相手してるんだもの、聞く耳もたない。
圧迫面接だと傷つく前に、泣きだす前に、そんな意地悪な人に屈しない自分になるために、じゃあ何ができる?って。いまなら、考えられる。
あのころはとても無理だったけれど。
いろいろと吹っ切れた時、とにかく面接官を一回笑わすこと、を目標に、内定をもらおうとかじゃなくて、知らない大人と話して、興味を持ってもらう訓練に、意識を切り替えた。
どっかんどっかん笑いを取って、でもそんな自分に吐き気がするほど自己嫌悪したりしながら、でも私は頑張ったと胸を張れる、と気を取りなおした。
自分のことを、自分を何も知らない人に話す、しかも真剣に時間を割いていただける、なかなかない機会だ。
自分のことを話して、うそじゃなく、相手が「・・・がんばりやさんだね」って思わず、みたいにこぼしてもらったこともある。あの声の優しさ、今も忘れてない。
会社に入って、セクハラだパワハラだイジメだの、バーターだの裏取引だの癒着だの時には犯罪にかかわるような嫌な汚いものを吐くほど見た。
でも、あの頃の自分がいるから、逃げなかった。
あの頃の自分が、あんなにつらくてももがいた自分が「なりたかった自分」が、今、この私なんだから、逃げてる場合じゃねえと思った。
あの頃の自分に言いたい。
みっともないけど、「恥ずかしい人」にはならなかったよ、だからお前は大丈夫だ!って。
だから、いま、就職活動中の、Kちゃんとかさやか嬢とか五月ちゃんとかに言いたいのよ。
大丈夫、絶対あなたたちは大丈夫。
どんな結果になったって、今あなたたちが「なりたくない恥ずかしい自分」になんて、絶対ならん。
将来、過去の自分に「どうだ!」って、どや顔で見せておやりよ。
あんなにつらい思いしたんだって、自慢できるくらい、いま、つらいんだから。
就職できなきゃダメ、なんて、誰も決めてないし。
それでも「自分が」「就職したい」のなら、いま、まさにその「なりたい自分」になろうとしてる瞬間なんだから。
私なんて、大学4年の12月末に、やっと1件だけ内定もらえたんだからーー。
中には、4年生の3月で、ギリギリ内定!っていう人もいる。
就職活動は、文字通り、就職の、活動なんだから。
活動をやめないかぎり続きます。
今じゃなくても、何年でも、自分がやりたいとこまでやれば続いてきます。
春雨なんて信じない!っていうなら、とりあえず私の歳まで追い付いたら、初めて文句をお言いなさい。
そうしたら聞いてあげるから(`3´)
そのころには、きっと、今の自分の想像もつかないくらい、見たこともない角度で世界を見ている自分がいるから。
以上、超おせっかい★でした。
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